ブラック企業を自力で辞めた方法:体験談と成功のステップ

ブラック企業を自力で辞めた

ブラック企業に勤めていると、自分で退職を切り出すことさえ難しいことがあります。上司からの圧力や同僚からの視線、劣悪な労働環境が原因で、心身に負担がかかるためです。しかし、そんな状況から自力で抜け出した人々の体験談があることで、勇気をもらえるかもしれません。

この記事では、ブラック企業から自分の力で退職した実際の経験談を通じて、スムーズに辞めるためのコツや成功のステップを解説します。辛い職場環境で悩んでいる方はぜひ参考にしてください。

退職代行を使ってブラック企業を辞める方法

33歳女性 退職して時間とお金に余裕ができました

わたしは30代女性、薬剤師の資格を持っています。

わたしは以前これはブラック企業ではないかと思われる調剤薬局で働いていました。

その薬局は残業が土曜日以外毎日4時間ほどあって、その残業代は0.7掛け、しかも2時間過ぎないと残業代は付かないシステムでした。

そして福利厚生の方も厚生年金や雇用保険、社会保険に入れてくれるのは良いですが、社会保険に入っているのに健康保険は自腹、社長の言い分はそういうのは自主的に行くものだから、だそうです。

そして、そのぶんのお金はわたしたちには支給されず社長のポケットマネーです。

それから有給もあるにはあるのですが、休みは冠婚葬祭以外取れません。

でも取れるだけましなのは分かりますが、取れなかった休みは買い取ってはくれず自動的に消滅です。

当時はまだ若かったので、残業の多さだけに不満を持っていました。

しかしある日他の同世代の給料を聞いて唖然としました。

残業はほぼなかったりあっても1時間程度なのに、わたしよりも給料が高いのです。

しかも残業代は1.25掛けなど本来の時給より高くなるとのこと。

そして、健康診断は会社負担で年に1回必ず受けさせてくれるとのこと。

それを聞いて、その時その薬局には1年ちょっと働いていたのですが、年間にしたらかなり損したと思って速攻やめてやると思いました。

その時はすごく仕事にストレスを感じていて疲れていたし、通常仕事をやめる時は1ヶ月前に言うのでしょうが、親戚が入院するのでとか適当な理由で2週間後に辞めました。

あれから数年経ちますし、いくつか仕事も転々としましたが、どの会社も福利厚生はしっかりしていたので、当時も今も全く後悔していません。

見ている人へのアドバスイスですが、自分がブラック企業で働いていると言う自覚がある人は早く次の仕事に乗り換えた方がいいです。

特に残業代はなどお金に関することの場合は、どれだけ損してきたか考えたら、今後もそれだけ損していくということになるので、とてももったいないです。

27歳女ブラック企業を退職して心からほっとした

27歳の時、大学時代の先生の紹介で、家族経営の老舗の菓子店に事務員として就職しました。

土日休みの週休2日、残業は滅多に無い上に、事務も同世代の女性スタッフばかりとのことだったので、前職が残業が多く疲れ果てていたこともあり、期待していました。

ところがいざ就職してみると、確かに週休二日ですが、土曜日は交代で出勤することが多く、残業は無いものの社長の奥さんの気分で、叱られることの多い職場でした。

しかも、事務の女性スタッフは私を含めて4人いましたが、同世代と言っても5歳から10歳年上の方で、高校を卒業してから10年以上勤務しているベテランの方ばかりでした。

前にいた事務員さんは22歳で大卒の新卒だったみたいですが、僅か2か月で退職してしまったことから、私は最初から「大学出」というだけで、招かれざる新人といった雰囲気でした。

仕事を聞いても教えてもらえず、失敗すれば奥さんに叱られるだけでなく、3人がしたミスは私のせいにされました。

電話も誰も出ずほぼ私一人で応対させられていました。

昼休みも基本的には事務所で食べることが決まりでしたが、よく3人でランチに出かけ、私だけ留守番して一人おにぎりをかじりながら電話応対に追われる日々を過ごしていました。

ある日、大手取引先の方が来られ、私がお茶を入れていると奥さんの怒鳴り声が聞こえました。

「早くお茶をお出しして!」

「すみません」

慌ててお茶を入れ、応接室へ持って行くと、奥さんは私の顔をチラッとみて取引先の方に

「最近の女の子は大学行っても全く役に立たず、何やってるんでしょうね。

高校出てみっちり仕込んだ子のほうが何倍も優秀ですよ」

これを聞いて、とても悔しい思いをしました。

と同時に、私は何をやっているんだろう。

無理してここにいる意味なんて無いんじゃないか?と初めて気が付きました。

そして翌日、ちょうど月末も近かった事から、社長に直接退職届を提出しました。

理由は一身上の都合で詳しい理由は何も言いませんでしたが、あっさり受理されました。

前の会社は5年も働いたのに、僅か半年で退職することになり、美味しい条件だけ見ないで、しっかり職場を見てから就職を決めるべきだったと、心から後悔しました。

職場は紙面や誰かの言葉だけでは、本当に自分に合っているか、勤めやすい職場か分からないものです。

決める前にしっかりリサーチして、ブラック企業に就職しないようにすることは大切だと身に沁みました。

30代女性、ブラック企業を退職して体調がずいぶん良くなりました

私は40代の女性ですが、30代で働いていたのは個人経営の専門学校でした。

仕事の内容は専門学校に通ってきている学生たちに資格を取らせるための講師でした。

最初はあまり自身がありませんでしたが、それまでに経験してきたことや、勉強して来たことを活かすことが出来ると思って、最初はやる気満々でした。

実際、学生たちと接するのは楽しいことも多くありましたし、その学生たちが資格を取る手助けをするのはやりがいもありましたので、一生懸命に頑張りました。

ですが、その会社(専門学校)の待遇は最悪でした。

給料はとても安かったですし、それに加えて頻繁にサービス残業をしていました。

定時の時間(夕方6時)になると、一旦、タイムカードを押さなければなりませんでした。

なぜならそうしないと、残業代が発生してしまうからです。

でも実際にはタイムカードを押した後に何時間も仕事をすることも頻繁にありました。

また仕事の内容も講師の仕事だけではなく、事務作業、受付、新しい学生を集めるためのイベントへの参加、そしておまけに学校の設備のメンテナンスもさせられていました。

特に学校が夏休みなどで学生が来ない期間には、毎日、学校の床のワックス掛けや、壁のペンキ塗りなどもしました。

それは体力的にも辛かったですし、精神的にもきつかったです。

一番、精神的に辛いと思ったのは、学校の説明会などに参加して、新しい学生を獲得するために、その学校の良さをアピールしなければいけないのですが、それが真実ではないこともあったことです。

まったくのウソとまでは言えなくても、都合の悪い事実は話さずに、少し着色して魅力のある専門学校だとアピールをしなければいけなかったので、精神的に辛かったです。

また授業を受け持っていますので、体調が悪くても、プライベートで用事があっても、仕事を休むことがなかなか出来ませんでした。

一応、有給休暇はあるはずなのですが、ほとんど取ったことはありません。

取りづらい職場の環境だったからです。

学生たちとの交流は楽しいこともあった半面、その会社(専門学校)はブラック企業でしたので、働き始めてすぐに辞めたいと思いました。

でも学生のことを考えると、すぐに辞めるわけにはいかないと思って、数年は我慢しました。

でも働き続けたら、体のあちこちに支障が出てきました。

ストレスが原因だと思います。

数年後、その体調の異変がどんどん酷くなってしまいましたので、学生たちが卒業する3月に辞めることを決意して退職しました。

退職したら、精神的にスッキリしましたし、体調もずいぶんと良くなりました。

ですから辞めて良かったと思いました。

ブラック企業で働いて体調が悪くなっている方は、無理せずに早めに退職された方が良いと思います。

32歳女性退職してストレスがなくなり充実した生活を送れるように

私は現在32歳で、未就園児を自宅で育児しながら在宅ワークをしている主婦です。

今回はまだ子どもが生まれる前に働いていたパート先での体験を書かせていただきます。

26歳で結婚し、最初に見つけたパートは人間関係、労働環境がとてもよく働きやすかったのです。

しかし夫の転勤でほどなくして退職し、引越先で新しいパート先を見つけたのですがその職場がブラック企業と呼ばれるものでした。

そのパート先は食品製造の会社です。

企業内の社員食堂で、社食を提供したり、売店を運営したりする仕事ですが、労働環境や人間関係がとても悪かったです。

労働環境の面で不満だったのは、残業代が支払われないという規則があったことです。

そのくせに平気で1時間以上残業しなければならないような仕事を押し付けてきます。

月に1回社員とパートで勉強会と呼ばれる会合のようなものが行われていて、その会合は2時間以上かかります。

しかし当然ながら残業代は支払われません。

またこのような会合は労働時間外に行われるので、事前に連絡をするべきなのですが、2~3日前に突然言われます。

会社の都合で突然行うことになったのであれば、出席を強要したり文句を言ったりするのは非常識だと思うのですが、用事があり参加できないと伝えると文句を言われます。

私は一度だけ参加できないことがあったのですが、文句を言われ店長と呼ばれる現場の責任者とそのうえのマネージャー(2人とも男性)から数日無視をされました。

人間関係の面では、職場で上司を含めたLINEグループがあったのですが、よくトラブルがあったことです。

休みの日でもプライベートでランチや飲み会に行く人がいたのですが、それをわざわざそのグループトークで話題にするので誘われなかった人が怒ってしまい喧嘩になることがありました。

その喧嘩でお客様に迷惑をかけていることもありますが、現場の店長もマネージャーも自分の好きなパートさんの味方をして、嫌いなパートさんを居心地悪くするように仕向けるので見ていてとても不快でした。

私は幸いこのような喧嘩に巻き込まれませんでしたが、いつもビクビクしながら仕事をしていました。

このような仕事でしたので、短時間しか仕事しないわりには非常に疲れて、ストレスも多くいつも何か不満を抱えながら生活していたように思います。

半年間仕事を続けたときに引っ越すことが決まり(転勤ではなく、マンションから一軒家)、距離的に通いにくくなったのでそれを理由にして退職しました。

しかしこんな状態ならもっと早くやめて違う仕事を探せばよかったと後悔しています。

ブラック企業で悩んでいる人には、とにかく自分のストレスが大きく四六時中仕事のことを考えてしまうような状態なら、周りの目を気にせずすぐに退職することを勧めたいです。

29歳男 長時間労働から解放され目が覚めた

私は全国展開するファミリーレストランチェーンに就職したのですが、いわゆるブラック企業でした。

当時、まだブラック企業という言葉もなく、とにかく馬車馬のように働かされていました。 既存店の売上減を新規出店することで、売上を上げていましたので、社員数が足りず、売上的には3人の社員で運営するべき店舗を2人で運営するなど、無理な運営を余儀なくされていました。

また、本来なら10年ほどのキャリアを積んで店長になるのですが、新規出店が続き、店長の数も足りなくなり、3年から5年で店長になっていました。

若い店長にありがちなのですが、自分の身体を張ることで人手不足を解消しようとしてしまいます。

それが慢性化して、超過勤務が月間100時間が当たり前になってしまいます。 私はトラブルがあり、2年半で店長となりました。

異例の早さで、会社からの期待は大きかったのですが、私は嫌で仕方がありませんでした。 仕事は好きでしたが、全く準備ができてない状況で店長に昇格することに、抵抗がありました。

直属のエリアマネージャーに何度も考え直してもらうよう頼みましたが、業務命令の一点張りで、全く聞いてもらえませんでした。

仕方がないので、辞表を提出しましたが、それも握り潰されてしまい、店長になることになってしまいました。

それから約3年間、店長として働きましたが、腰を痛めてしまいました。 騙し騙し働いていましたが、病院で、「このまま悪くなれば、最悪車椅子で生活しないといけなくなるので、腰をしっかり治すべき」 と言われ、退社を決意しました。

しかし店長昇格時のこともあり、無策で挑めば、また上手くいかないと思い、準備を整えました。

まず、労働監督基準署で当時の労働環境の相談をし、担当者の名刺を貰いました。

そして相談の様子をICレコーダーに録音しておきました。

そしてエリアマネージャーに退社を告げました。

当然、慰留されましたし、聞き方によっては恫喝に近い発言もありました。

かなり長い間慰留され、退社を保留するような発言が出始めた頃に、労基署の担当者の名刺を見せ、ICレコーダーの録音データを聞かせました。

同時にその時のエリアマネージャーとの会話も録音していたので、その録音データも聞かせ、 「問題を大きくしたくないので、大人しく退社をさせて下さい」 と伝えました。

卑怯な手でしたが、このくらいしないと退社はできなかったと思います。 それから2ヶ月後、無事退社することができました。

辞めるにあたり、ネットなどで色々調べましたが、最悪、裁判などになった時には、客観的な証拠が必要になるようです。

今はスマホで会話を録音できますので、上司などと話すときは、念のため会話を録音するべきだと思います。

そのようなデータがあると、有利に話を進めることができましたので、是非オススメします。 会社を辞めて、私はいかにおかしな環境で働いていたのか分かりました。

会社内の常識やモラルが社会から遥かにかけ離れたもので、まともな人間が働くところではありませんでした。

まさにブラックという名に相応しい環境でした。

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