45歳男、理不尽な異動から抜け出した話
現在、45歳で肉体労働の仕事をしている中年男性です。
私は転職をして5年ほどになります。
経済的には厳しいものは
ありますが以前勤務していた会社の事を考えると気楽に楽しく
生活できています。
以前、勤務していた会社には20年ぐらいアルバイト時代を含めて
勤務をしていました。
人生の半分です。
県内で数店舗抱えてるパチンコ店に勤務していました。
自分は定年までその会社で勤め上げるつもりでいました。
それの気持ちがガラガラと崩れ落ちて退職に至った経験を
お話してみようと思います。
ちょうど本社勤務になって10年ぐらいでした。
それ以前はホール
で6年ほど、希望を出して本社勤務、企画の仕事をしていました。
辛い事や嫌な事もありましたが好きな仕事だったしやりがいを
感じて毎日奮闘していました。
時期的に人事異動や昇格の辞令が出る時期の事です。
自分の居る部署に一人補充がある話を聞いてちょっと楽になるなーとか
後輩と話をしていて上司には何を最初させますかとか先の事を
考えていました。
辞令交付式が終わって部長が私の所に来られました。
お前に辞令が出た。
〇〇店に異動。
正直、ショックで固まりました。
頭真っ白になるという事を
よく言いますが初めて体感した瞬間と思います。
合わせて引越しをする事も重なりました。
街中から離れた全く
環境が変わる場所。
悩みに悩みました。
その時点で退職をする事も考えました。
しかし母の「やってみて考えなさい」という言葉で辞令を受ける
事にしました。
約2年間、自分なりに奮闘しました。
ストレスで鬱病とも診断されました。
本部に帰って企画に仕事をまたやりたいと思って
上司にも何度も嘆願をしました。
結局、パワハラまがいの事を
され、繋ぎとめていた気持ちが切れでしまいました。
人生の半分を過ごした会社を辞める事を決めました。
そもそも異動になった時も10年ぶりにホールに戻るのに
辞令の話も当日にしかなく、違和感を感じる事ばかりでした。
何故異動ですかと部長に言っても「黙って受けろ」と言われ取り合ってもらえず。
再異動の希望を出しても取り合ってもらえず。
数年前に私が居た会社はオーナーが変わる事がありました。
それ以降、元社長派、新社長派に分かれて辞めていく人が多く
私は今でもそれに巻き込まれたと思っています。
それの出来事に耐えて会社の言う事を聞いていたのが今でも後悔をしています。
家族経営で人事にはかなり感情的になっていらっしゃった事もありました。
これを読んでいる人に対しては色々もがいても変えれない事あります。
権力には叶わないと思います。
一番は環境を変える事。
仕事とは食べていく生活していく術であって選ばないなら
何でも仕事はあります。
逃げる事も一つの方法と考えるのも
ありと思います。
アラフォー女子、ブラック企業を辞めて転職成功♪
こんにちは、Ayumintです。
アラフォー。
おととし辞めたブラック企業についての体験談を書きます。
ぶっちゃけ、変な会社はさっさと辞めたほうが身のためですよ。
みなさんも、我こそはブラック企業に勤めているって方がいたら、さっさを足を洗いましょう。
気が楽ですよ!
そもそも、今思えば最初からブラック企業だったと思います。
面接に行った時に提示されたお給料と、採用になった時に提示された給料が違いましたし、(もちろんこっちの方が低い)、希望する職種の部署とは違うところに配属になるし。
まあ、当時は若かったですし、新しいことが経験出来たらそれでいいかな、って思っていたのですが。
しばらく働いてみて、周りの職歴の長いおじ様たちは、ほとんどポンコツで役に立たないことが分かりましたし、そのおかげで私を含め、比較的新しく入社してきた人が、めちゃくちゃ働かされることになりました。
なんの役にも立たない人間よりも、少ないお給料で、日々萎えそうでしたし、尊敬できる人も全然現れなかったので、5年経って退職することにしました。
ま、ポンコツのおかげで、勝手にスキルアップできたことは、今もとても感謝しているのですが。
それに、その年の新卒のお給料の方が、当時私のもらっていたお給料よりもよかったんですね。
頭にきて会社を辞めるいい理由になりました。
笑
その時の心情は、ものすごく晴れ晴れしていました。
決断したので。
ただ、決断に至るまでは、モヤッとしていました。
果たして、今、私が会社を辞めてしまって、大丈夫なんだろうか、という変な責任感がありました。
でも、辞めた後のことなんて、知ったこっちゃないですもんね。
ま、上司には考え直すように言われましたが、あんな給料じゃやってられない、と言ってやったら黙ってました。
ざまあ見ろ!笑。
後悔していることは、特にないです。
会社を辞めて、しばらくのんびりしてましたし、その会社でスキルアップできたことは、今の仕事を見つけるのにすごく役立ったので。
ただ、その会社では、何人か素敵な仲間もできたので、その人たちとお別れするのは、最初はちょっと悲しかったですが。
この記事を読んでいる、ということは、みなさん多かれ少なかれ退職したいか、ブラック企業に勤めている、という方なんだと思います。
わざわざブラック企業に勤めなくても、世の中にはたくさん仕事があります。
さっさと見切りをつけて、次の新しいステージに立ちましょう。
ブラック企業は、あなたのために何もしてくれませんよ!
31歳男、ブラック企業退社後に転職して正常な生活を取り戻した
私は今年50歳になる技術系会社員です。
22歳の時、大学の電気工学を卒業し、地元が兼業農家の長男だったので、地元の自動車部品製造会社に教授のコネで入社しました。
しかし、この会社がかなりのブラックでした。
それでも実家の農業や実家の鉄工場や不動産もあり、そのへっぽこ会社だけに依存していたわけでなかったので、とりあえず我慢してそこで約10年勤務しました。
新卒後に入った会社は、大企業の子会社の自動車部品製造會社でした。
この会社は、社長以下、部長や課長まで、親会社からの天下りが占拠していました。
生え抜きはどんなに頑張っても課長止まりでした。
入社して数年でそのことがわかり、暗い将来が見えていたので、モチベーションは上がりませんでした。
よって、入社後、約3年周期で辞表を提出したくなることが度々ありましたが、生え抜きの方々は良い方ばかりだったうえに、教授のコネもあったので、なかなか辞めにくく、なんとか我慢して9年が経った頃に、教授が亡くなったとの情報が入り、人事に同期で仲の良い人もいたので相談して、10年で退職金も上がるから、10年勤務後が良いと言われ、10年勤務後の32歳時に辞表を提出しました。
辞表提出時の心構えは、環境の良い転職先を確実に見つけた後、なるべく早めに提出することです。
大抵、会社は引き止めます。
しかし、そこまで何もしてこなかった会社に対して、期待は出来ませんし、仮に、思いとどまったとしても、また同じことを繰り返すだけで、時間の無駄です。
あと、出来れば、職務内容は、一貫している方が良いと思います。
私の場合、電気電子工学の制御設計と言う分野で一貫していましたし、現状でも、この道で既に30年弱の技術系会社員として、生計を立てています。
人生はなるべくブレない職務を身に着けて生きるべきです。
後悔しているのは、辞め方が突然だったことです。
実は、退社した週末に後輩の結婚式に出席しました。
何も知らない会社の同僚たちと出席までした日曜日の翌日に転職した会社に初出勤しました。
つまり、最後の最後まで、辞めると言えずに、本当にごく一部の方だけに話して、何もなかったかのように、静かに退社したので、やっぱりちゃんと挨拶すべきだったと、少し後悔しています。
いまさらですが。
辞表を提出した時は、正直言えばかなり悲しかったです。
会社の生え抜きの方々は良い人ばかりでしたので、また、そのブラック企業の経営陣は大嫌いでしたが、その会社の仕事は大好きでした。
車載や事務機器等のアクチュエータやその制御設計だったので、自分の大学で学んだ電気電子工学の専門を活かせて、やればやるほど楽しく、好きになる仕事でした。
しかし、我慢ならなかったのは、H製作所から来る無能な天下りの管理職たちが、嫌な仕事ばかり押し付けてくるのと、入社5年目あたりから不景気で、残業代が払われなくなったのが、最悪でした。
毎月100時間程度は残業しても、つくのは10時間程度でした。
近隣の会社でも同じような状況の時代でしたので、労働基準監督署の監査で指摘された会社も出て来て、その会社でも問題になりつつありました。
仕事は好きだったので、競合企業でしたが、同じような仕事で、もっと大きな会社が自宅の近くにあったので、そこを面接し合格し、転職することにしました。
この決意で、今は良好な生活を送っています。
当然、皆さん真面目に生きていて、就職も一生懸命に対応していると思います。
ただ、先の事は誰にもわからないし、自分に合っている仕事がなんなのかなんて、殆どの人はわかりません。
そんな分からないことだらけの中で、みんな就職していきます。
なので、上手く行くことよりも、失敗することの方が多いと思います。
その失敗したとわかった時に、貴方はどう動くのかが重要になります。
人生は一度しかありません。
我慢するだけなら、誰にでも出来ますし、全然、面白くもありません。
一度しかない人生です。
勇気と知恵を振り絞って、常にアンテナ全開で、我々の人生を良い方向に変えていきましょう。
人生なんて、色々あった方が面白いし、その後の人生もまた個性的な人生を生み出せるのです。
人生は個性的で最高です。
25歳女退職して思わず笑顔に!
私は20代の女性で、今はただの会社員です。
。
当時の私は元々1つのバイトをしておりましたが、あと少し稼ぎたいと考え、もう1つバイトしようと考え、Wワークを始める事にしました。
そのWワーク先として選んだ会社こそ、まさにブラック企業だったのです。
正社員ではなかったにしろ、もう二度とごめんだなという体験をしました。
そのブラック企業では初めはとても短い時間と日数で働かせてもらっていました。
3ヵ月が過ぎた頃には、「もっと時間を増やして働きなよ」と同じ部署の人達から何度も言われるようになりました。
私自身、稼ぎも足りていなかった為、その時はチャンスだと考えていました。
そこで、働く時間と日数を少しだけ増やして勤務する事になりました。
そこから更に3ヵ月、同じ部署の人達からの当たりが強くなってゆき、気付いた時には精神的に疲弊していました。
まず同じ部署の上司が、気に入らない事が起こると物に当たって壁に穴を開けたりするような人だったのです。
本当に怖かったです。
その上司は突然怒り出したりとにかくご機嫌がコロコロと変わる人だったので、同じ部署の人達もそれに影響されて「何も言えない雰囲気」が作り出されていました。
わからない事を聞けずに上司の機嫌に脅える日々は壮絶でした。
まさにパワハラですね。
問題は上司だけでなく、年配のお局パートさん方にもありました。
このお局は3人もいて、私が時間と日数を増やして働き出した頃から当たりが強くなってきました。
非常に強いストレスを受けました。
作業動作や礼儀作法など、お局が作り上げた独自ルールに則っていないとヒステリックに怒鳴られたりしました。
入職から半年過ぎた頃には、私の身内に不幸があって仕事を休まなければならない時がありました。
その後仕事に復帰しても、私がその身内のことを皆の前で知らせないからという理由で怒鳴られました。
ちなみに、事前にしばらく休むかもしれません、とは部署の方々に伝えていました。
正直、人が亡くなったというのになぜこんな理不尽な人達に怒鳴られるのかと私は怒りが強くなっていき、ストレスから家で飲酒する日が続きました。
(※普段一滴も飲みません)
そこから2ヵ月は怒りを原動力に出勤していましたが長く続かず、「ここに居ても何も得られない」と確信し、辞める事に決めました。
辞める時もお局への報告と、「辞職の半年前に申告が必要」という独自ルールがあったため、部署内ではもう相談せず、更に上の位の上司へ相談し、半ば強引に辞めました。
辞職届も部署の人が全員帰宅した後の夜に書きに行って、逃げるように辞めました…
もう二度とこんな所に入らない!と決めました。
辞めた時の帰り道は本当に幸せで思わず笑顔になってしまいましたが笑
後悔している事はもっと早く辞めれば良かったという事です。
アドバイスにはならないかもしれませんが、時には逃げてでも辞めるのは大事だなと学びました。
辞められないのではなく、辞める。
本当にダメなら思い切って、そして笑顔で働ける場所を探しましょう!
30歳男退職して気持ちが軽くなった
自分は兵庫県に住んでる30歳の男です。
自分が働いていましたのは介護職でして、そこの利用者様達はすごくいい方々で文句はなかったのですが、働いてるスタッフにかなり問題がありました。
自分がなぜ、そこの職員になったかと言いますと、自分はヘルパー2級の資格を持っていましてその資格を生かして綺麗ごとになるかもしれませんが、今まで頑張ってこられました年配の方々の力に少しでも役に立ちたいと思い、職業安定所で探していましたら、そこの職場が見つかりまして、体制も給料も悪くはないのでそこで働こうと思いそこに決めました。
いざ、そこで働き始めますと、職員の方々のある職員への冷たい態度、陰口、利用者への陰口や悪口、イエスマンの多さ、給料の安さ、口は出して行動しない人たち、それを見てましたら辞めていく方々の気持ちや利用者の家族様の「やめた方がいいよ」と言う声の意味がなんとなく分かってきました。
この様な意味かなと思いあまり重く考えてませんでしたが、いざ仕事をしようとしましたら先輩の誰かが自分のことを事務長にチクりまして自分は介護をさしてもらえず利用者が寝るシーツ交換、風呂掃除、新聞取り、この繰り返しでした。
自分は事務長に「介護をさしてください」と何回も言いましたが「そのうちな」と軽く聞き流され、時間だけが立っていきいつになっても介護をさしてくれませんでした。
そして給料も夜勤を入れて13万5000円で割に合わんと感じまして、ほんまに自分はこの職場を選んでよかったのだろうかと思い始めてきました。
そして、月日はたちまして自分の母が癌でなくなりました、1週間ほど、お休みをいただきまして休み後に出勤しまして、施設長と話をしていまして、施設長は「大変やったな~気持ちは大丈夫か?」と心配してくれましてそこは良かったのですが、施設長の次に話し合いをした事務長の「大変やったな~お母さんのこともあるから面倒を見てあげた」と言われ、カチンときてその日限りで辞めました。
そこで自分が思ったのは、職業安定所は会社の内部のことは知らずに適当に言うてる、イエスマンにろくな奴はいないというのを学びました。