ブラック企業を自力で辞めた方法:体験談と成功のステップ

36歳女 退職してようやく普通の暮らしを手に入れた

大手企業の非正規雇用で働いていましたが、そのめま働いていても正社員になる見込みがないために、関連する中小企業へ転職しました。

経験者ということで給与面でも優遇される話でしたが、実際は前職よりも年収が低く、なおかつ残業を40時間ほどしてやっと前職の給与と同等くらいでした。

その残業も、不景気のために残業をするなと言われ給与は激減。

それなのに仕事は減らず。

むしろ人員削減で他の仕事まで回ってくる状態です。

課長は天下りしてきた人物で、周りのことを考えずに自分勝手に無茶振りをするので、当然課員は誰も信頼していません。

経験者の私にはあれもやれこれもやれと指示を出し、仕事が山積みでも残業はさせない。

定時で帰らす。

定時で帰ることは家庭にとってはいいことですが、何分給与が低すぎて生活が苦しくなりました。

共働きでなんとか頑張っていたものの、仕事のストレスがたたってか、次第にお腹を下すようになりました。

それだけならちょっとお腹の調子が悪いのかな?と思うだけかもしれませんが、休日になると治り、平日にお腹を下す日々。

どう考えても仕事のストレスに他なりません。

そのうちに、気分的にも仕事に行きたくない、仕事が嫌だと愚痴が多くなり、毎日配偶者へ愚痴っていた気がします。

意を決して精神科で診て貰うと、適応障害と診断され、内科では過敏性腸症候群と言われました。

悩んだ末に仕事を長期で休むことにし、その後復帰をするか転職をするか迷いました。

その間、会社側は、申請をしたにもかかわらず傷病手当ての書類を書いてくれなくて、半年以上無給で家族にはとても迷惑をかけました。

何度もフォローをかけるのにも精神がやられるし、本当に悲惨でした。

家族と話し合って、転職をしようということになりましたが、その時には年齢でひっかかる求人が多く、なかなか書類選考が通りませんでした。

もっと早く行動すればという後悔と焦りと苛立ちで、またまた家族にも当たってしまって自己嫌悪の毎日でした。

それでも私を見捨てず、親身になって応援してくれた家族のおかげで、無事転職を果たすことができました。

結果として、大手企業の非正規雇用のときよりは年収は落ちますが、中小企業のときよりは普通の給与がもらえるようになったので、今はそこで頑張って働いています。

28歳女退職して再進学

こんにちは、私は28歳の女で現在OLをしています。

今の職場は100点満点までとはいきませんが、前に比べたらずっと快適です。

前職は旅館で仲居をしておりました。

住み込みなので寮は格安で住むことができました。

ご飯は白米だけは自由でしたが特にまかないはなかったです。

月に2回だけ温泉に入浴することができました。

と、いい部分はこのぐらいであとは最悪でした。

まず、入社して研修があったのですが、そのたった2週間のうちに4人いた同期のうち2人が辞めることになりました。

不安なスタートを切りました。

旅館は、お客様の到着からお帰りまでを全て担当するという仕事なので、いくら早く仕事をしても、残業になる時はなります。

特に新入社員ということもあって、早く終わったら手伝わなければならない風潮があって忙しなかったです。

昼から働いて次の日の朝までで1日勤務のカウントでしたので、1日休みでも実質半日+半日で寝て終わることがほとんどでした。

田舎の中の田舎という場所でしたので、近くのコンビニまで車で30分。

この暮らしをして、私には田舎暮らしが向いてないなとつくづく思いました。

20代のうちにそれに気づけたことは良かったと思います。

なので、遊ぶ暇というかお金を使うことが少ないので、口座にお金は溜まっていくのですが、給料的には拘束時間の割に少ないと思います。

そんな毎日を送っていて、ここで3年働くのは無理だと思い、2年目の秋頃に退職を決意しました。

結構、退職・転職の激しい会社だったので、特に抵抗はありませんでした。

ただ、誰にもバレたくないので静かに次にやりたいことを探しました。

同じ業界はどこも一緒だろうから転職に乗り気じゃなっかったので、転職するとしたら全く違う仕事がいいなと思いました。

それで、全く新しいことを学びたいと思いデザインの専門学校に再進学することにしました。

仕事を辞めるのには勇気がいることかもしれませんが、一度就いた仕事が違うなと考えたりするのも今の時代普通だと思います。

自分が本当にしたいと思える仕事に出会えることを願って。

36才女退職して目が覚めた

私は某人材派遣会社にて日雇い新規開拓営業、管理営業を担っておりました。

倒産した日雇い派遣会社ではありませんが、超有名アイドルがCMで起用されていました。

私は当時新卒、社会人としてスーツ生活にも慣れていなければ、お金をもらってバイトとは違った責任感、環境での生活に追いつく事がやっとでした。

日雇い取引専門の営業、どちらかというと雑居ビル、トイレが汚い工場、駅からものすごく離れた工場地帯がほとんどです。

男子10人の中にただ1人選ばれた女1人。

「なんで私1人だけ?」と正直驚きましたけど、全然内定をもらえなかったので仕事にありつけただけでもありがたいと思い前向きにとらえてました。

しかし、仕事がはじまると、朝7時開始の終電まで働く生活。

仕事が慣れていないからしょうがない。

失敗したら、罵倒される、殴られる、男子の現場だししょうがない。

と必死で自分に言い聞かせてました。

これが社会人、父に学費がかかる学校へ通わせてもらった事を感謝しっぱなしでした。

土日も返上で電話が止まらず仕事をしていた日々、たまたま大学の同級生とつかの間の食事会の時。

私とは全く異なった生活をしている友人、残業はあるにせよ、罵倒、暴力などはない。

よくよく考えてみたら、学生時代、数年お世話になったバイト先の社員さんの事を思い出してみたら、厳しい昭和の体育会系のような扱いは見た事はなかった事に気がつき、ようやく私の勤めている会社は異常なんだという事に気がつきました。

退職。

という言葉が頭をよぎった時、正直不安もありました。

次の仕事が今の経歴で見つかるのか。

転職活動中の資金は?

本当に退職していいのか。

悩みに悩みました。

そこで私は、自分自身に問いました。

「今の仕事、年収1千万ならやるか?」

答えはNOでした。

数年我慢して貯蓄できると我慢した所で精神的に追い込まれ結局、入院費に消えるだろう。

仕事は1つじゃないと。

退職すると告げた時も胸ぐらを捕まれ、鬼のように睨まれながら止められましたが、「この人たちと同じような人生は歩みたくない」という正直な気持ちがよぎり、闇金の取り立てのような恐怖の数分間を耐えました。

後悔はありません。

むしろ若い時にこのような経験をしていてよかったと思います。

就職してから月数万の自動積立貯金が、

無職になった私の生活をなんとか支えてくれていました。

転職する時、どんな事なら耐えられて、平穏にいられるか、の指針にもなります。

今、ブラック企業を辞める、辞めないで迷っている人たちへ

100%理想の会社はありません。

どうしても妥協できない、我慢できないことは何でしょう?あなたにとって本当にブラック企業なのでしょうか?

会社は1つではありません。

あなたは会社の為にいきているのはありません。

あなたには職業選択の自由があります。

1年なんとか耐え抜けば失業保険が出ますし、税金の請求にも耐えられます。

すきな事を仕事にをスローガンにするのではなく、このくらいなら自分を保てるくらいの気持ちで、仕事に対し、人生を見てみてください。

26歳男退職してからは何事も楽しいと感じれるようになった

現在26歳で、北海道でフリーランスとして仕事をしています。

以前は新卒で某ガス会社の営業マンとして仕事していました。

給与は人並に貰っていたと思いますが、精神的な負担と体力的にも限界があったので退職しました。

某ガス会社に入社する前は、ガスを販売したり関連機器を販売するのだろうと思っていました。

ですが、実際に入社してみるとガスというより物販メインの会社で、ガスに携わる仕事というのは殆どありませんでした。

入社してすぐに退職するのも良くないと思い、1~2カ月は様子を見ようと与えられた仕事をやり続けました。

私が配属した営業所は残業が多く、飲み会が多い等と古い会社習慣が残っていました。

私は新入社員だったということもあり、所属長の指示で定時上がりしていましたが、そんな中、定時上がりしている私を快く思っていない上司(後の上司A)がいました。

入社してから1~2カ月の月日が経つと、ある日突然、上司Aから「何で残業しないの?」と言われたのを覚えています。

何か手伝えることがあれば手伝うべきかもしれませんが、残業するほどの仕事が無い上に、「所属長から定時で上がるよう指示されているので」としか言いようがありません。

私がこう言うと、上司Aは「じゃあ、帰れ」と不満そうにしていました。

これが切っ掛けでモノハラやパワハラを受けるようになりました。

私が営業所にいない間に私物を隠したり、他の従業員にはお土産を配布するのに私だけには配布しないといった陰湿な嫌がらせが毎日続いていました。

当初は気にせず我慢していましたが、私の趣味や出身を侮辱したり因縁つけて怒鳴ってくる等とエスカレートしていきました。

これには他の上司も流石に気付いていましたが、「気にするな」と言うだけで常に見て見ぬふりです。

所属長に相談しましたが、具体的な解決策を提示してくれず話を濁されるだけでした。

そして、私も営業先が増えたり開拓営業等と仕事が増え、残業することが多くなりました。

残業代の件でも所属長に相談しましたが、気づくと違う話をしているといったところです。

我慢も限界に達し、一度暴れてやろうかなとも思いイライラしながら仕事していました。

他の上司もこれには驚いたようで、上司Bが「黙って見ていたけど正直キツいだろ」「見てて我慢できなくなってきたから叱っておくよ」と私に言いました。

上司Bが上司Aに叱ってからはモノハラやパワハラも少なくなっていきました。

そして上司Bと営業に行ったり、一緒に食事するようにもなりました。

私は上司Bに守られながら仕事していましたが、残業代も出ない上にモノハラやパワハラは無くならず、所属長が私の恩師である上司Bに仕事を押し付けているのを見て「この会社はヤバイ」と思い退職を決意しました。

退職届を出そうと思いましたが、部署異動の話があったので「上司Aともおさらばできるし、少しは改善されるかも」と思い、退職はせず転勤することになりました。

異動してからは技術関係の仕事がメインでしたが、予想以上に忙しい部署でした。

従業員によって仕事量がバラバラです。

早く退社できる人もいれば私のように夜9~10時に退社する人もいました。

私の場合は現場の立ち合いがあったので、朝5時~夜10時が1カ月続くこともありました。

こんな仕事しても残業代は出ません。

流石に「ミスすると取り返しがつかない」といった精神的な負担も増え、体力的にも限界があったので過労死を避けるべく退職しました。

退職した後は違う会社に転職し、今ではフリーランスとして仕事しています。

某ガス会社を退職してからは精神的な負担も無くなり、心に余裕ができたので何しても楽しいと感じれるようになりました。

「退職したら先は無い」ということはあり得ないので、我慢して身を滅ぼしてしまうくらいであれば、退職したほうが良いと思います。

37歳男 プライベートが無いブラック設備会社から退職して心身充実

以前に某上場企業の建設設備の会社を退職しました。

入社してから分かりましたが、かなりのブラック企業でした。

私の所属した会社は設備の専門業者だったのですが、とにかく長時間残業や休日出勤が多かったです。

まず土曜日は必ず出勤です。

これはどこの現場にも言えることですが、建設現場は土曜日も稼働します。

その為、作業員の安全管理と工程管理のために現場に行かなければいけません。

私たちの会社の場合、1人の担当者が複数の現場を持たされるので、各現場に呼ばれててんやわんやになるのが特徴で、各現場ごとに図面や打ち合わせ書類を作らなければいけないので、深夜残業も日常茶飯事です。

また、夜間工事や工場等の土日に行う改修工事も併せて担当させられるので、全く休みが取れませんでした。

ここの会社で働いている人は、みなプライベートな時間を確保することができず、仕事漬けの生活を送っています。

子供の学校行事も行けない先輩も多く、そんな姿を見ていて、その会社に絶望感を抱くようになりました。

また、もう1つ不満だったのが残業申請です。

現場経費というのが、各現場ごとに決められていて、そこから自分の経費が出されます。

当然、残業代もそこから捻出されるのですが、どう考えても経費の予算が足らないのです。

その為、深夜残業や休日出勤をしても、結局経費が赤になるのを防ぐため、サービス残業にするしかないのです。

仮に予算が潤沢で残業を沢山付けたとしても、上司からは「効率が悪い」とか、「他の社員が残業を付けずに頑張っているのに、お前は付けるのか?」という話をされるので、事実上残業は一定時間以上(20時間前後)は付けることができませんでした。

月に2~3日しか休日がなく、深夜残業はしょっちゅう、しかも残業が抑制されるということで、入社3年目に退社を決意しました。

当然そんな会社なので、若手の退職はあとを絶たず、私もかなり強引な引き留めにあいましたが、そこは強引に退職の意思を押し通しました。

今は別の建設系の会社に就職しましたが、こちらは残業や休日に対する考えは社員寄りで非常に仕事をしやすい環境です。

土日出勤もありますが、代休は必ず取得できますし、残業も仕事をした分は付けれます。

結果的に退職して良かったと思います。

自分を犠牲にしてまで会社に尽くす必要は無いと感じます。

この会社は自分の未来を描けないと思ったら、思い切って転職する事をオススメします。

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