30歳男性あなたは絶対に悪くない
私は上司のパワハラに苦しみました。
ここを見てらっしゃるあなたは私と同じように悩み苦しんでいる・いた方々だと思います。
私は2017年頃まで機械設計の仕事をしていました。
30過ぎてようやく社員として働けることと以前からやりたかった仕事であった為、毎日熱意を持って取り組んでいました。
大きな仕事が終わり次の業務へ組み込まれたとき、あの上司に出会いました。
その方は仕事をやらない人でした。
仕事上の関係で私と上司が組んで業務を行っていたので、本来上司がやるべき仕事を何故か私がしなくていけない状態でした。
その上、どんなに仕事が残っていようが納期が間に合わなくても必ず定時で帰ってしまいます。
毎日、2人分の仕事を残業をやってこなしていくうちに、全てを投げ出したい。
どっか遠くの無人島に行きたい。
と思う気持ちが強まるのを感じていました。
ですが、ローンを抱えていたので辞めるに辞められない状態です。
それに、年齢的に転職は厳しいだろうなという考えもあった為、ここの会社で頑張っていました。
もちろんそんな状態が続くわけがなく、私の心は折れてしまいます。
あの時こうしていればと思うことはたくさんあるし、周りを頼ればよかったのかな?
とか思ったり、会社の責任者に相談すればよかったのかななどと、たらればを上げたらきりがありません。
現在は通院しながら治療を続けています。
見ている人伝えたいことは、よく自分ひとりで抱えないとかいうやつは無責任なやつです。
それが出来れば誰も苦しんではいません。
絶対に負い目を感じたり、自分を責めたりしてはいけません。
基本的に全て会社が悪いのです。
そんなやつを責任者にして放置しているのですから。
人生はまだ長いし、私は仕事をリタイア出来るほど資産があるわけでもありません。
ですので、今後の為にしっかり心身ともに直してちゃんと社会復帰出来るように治療をしています。
最後に、繰り返しになりますが「全部会社が悪い」あと「上司が悪い」のです。
あなたが心と身体を壊される前に何かしらアクションを起こしてください。
そうなってからだと復帰に時間がかかってしまします。
36歳男退職して心が落ち着いてきました
私はK.N.(36)男です。
情報系の大学を卒業後、地元のIT企業に新卒で入社しました。
札幌では、インターンシップで1人だけ11月に参加したプロジェクトは、先輩が上司からパワハラを受けているダムを制御する難解なシステム開発でした。
学生時代に有給で働けていい経験になるかと思いきや、いつも先輩がひどい声で怒鳴られているのを見ていると、私は、とても将来が不安になりました。
私は、定時の18:00までいるのが凄くストレスになり、今思えば、その時点で多分うつ状態を発症していたと考えられます。
先輩と上司の帰る時間は、いつも24:00近くになると聞きました。
しかも始業時間は、9:00で、1日時計一回り以上の15時間労働で、インターンシップが終わって、正社員になるのがとても怖くなりました。
案の定、4月には、10人ほど採用となり、私1人だけが東京へ転勤させられることとなってしまいました。
私が関わったプロジェクトも、C言語とUNIXを使うかなり大規模なもので、毎日が残業残業で、ソースコードも100万行以上あるものを解読しながら作業を行う毎日は、過酷なものでした。
障害が発生すると、日曜日でも休日関わらず呼び出され、月平均の残業時間は100時間を超えることもありました。
上司から怒鳴られることや、難解で時間の掛かる仕事を押し付けられるなどのパワハラも日常茶飯事でした。
社会人とはこういうものかと思いながら、インターンシップ期間を含めて3年間努めて、病気で退職することとなりました。
日本の企業の70%はブラック企業で締めていると思われますが、地方の下請けソフトウェア業界は、90%を超えている可能性があると思いますので、大学のときに成績が良くても、本当にソフトウェア業界に入るべきがどうか真剣に考えたほうが良いと思います。
また、実際に働いてみて、これは自分の力がどう考えても活かせないと思ったら、違う業界・会社を選択肢に入れるべきだと思っています。
36歳男退職を決めて時間にゆとりができた
新卒で地方の某団体職員となり、広報の仕事をしていました。
地域のニュースを取材し写真を撮り、社内・社外報を毎月発刊するというもの。
最初は前任者と2人でやっていましたが、2か月ほど経過してからは一人で全てを担当するようになり、苦労しながらこなしていると、なかなかやりがいを見出せるようになりました。
しかしながら、休みの日はイベントの取材に行き、振替休日はもちろん消化できずに待ってくれない締切に追われる毎日。
一か月なんてアッという間に過ぎていくもの。
それでも、腐ることなく記事を書き、写真を撮り続けていたらある時、広報の賞を頂きました。
しかし、広報を担当して4年目に、突然支店勤務を言い渡されました。
支店では、主に金融・保険の営業を担当する時かされました。
勝手もわかり、これからもっともっといいものを作るぞ!という気持ちになっていた矢先に、ほぼ転職させられたようなものでした。
いままで培った技術や努力は目に見える形で役には立たず、完全にやる気はそがれました。
しかし、そうも言ってはいられず目の前にある目標の数字を達成しないといけないのと、周りの先輩方の支えもあり、腐らず日々ノルマをこなしていました。
自分の数字を達成することもなかなか難しいことでしたが、支店全体の数字を達成することがなかなか難しいものでした。
やってもやっても達成できないので、最終的には全員で達成できない部分を自腹を切って数字を計上するという事になります。
僕が働いていた団体では「自爆」と言っていました。
特に保険は、入らなくていい必要ないと思うものにまで入っていました。
その時に、自分はこういうう仕事がしたくて働きだしたのか?仕事がやっと慣れてきたころに別の仕事を与えられ、プロが誕生しない職場だと感じるようになりました。
そこで、せっかくなら広報の仕事を極めたいという気持ちになり転職を決意しました。
若かったので割と早く次の職は見つかりました。
今の職場も全く問題がないわけではないですが、望んで入った職場なので後悔はしていません。
むしろ天職だと思っているくらいです。
28才女(FTX)退職でプレッシャーから解放された
初めまして、蘭といいます。
私は大学在学中から対人面などに関して情緒不安定なところがあり、スクールカウンセラーがいる相談室へ通っていました。
しかし、周りが就職活動に精を出し始め、私も就職すればどうにかなるだろうと考えていた節がありました。
面接で上手く受け答えができなくて何度もお祈りメールを送られた中、私が合格したのは零細の編集プロダクションでした。
文章を書くのが少し優れていたからということで、一芸合格のようなもので、とても嬉しかったです。
会社にこもってたくさん記事を書けるなら頑張ろうと思っていたのですが、北海道などへの出張やインタビューなど環境変化や対人仕事が多く、上司にも会う人にも毎回気を張りつめてしまっていました。
その後に納期がある原稿を仕上げないといけないので、夜に会社に帰ってから心臓を張りつめたままの恐怖感を抱えていたままでした。
運悪く隣のデスクにいたのが社長だったため、萎縮してしまい、機嫌が悪い時は舌打ちもされて、閉塞感をおぼえていました。
上司は体力的にもとても疲弊しているように見えたので、勤務記録を見たところ、一ヵ月に300~400時間という労働量であったことを知り、この会社でずっとやっていくのは厳しそうだ、やめるなら早い内がいいと考えるようになりました。
毎週末友達を呼び出しては、泣き言や愚痴につき合わせるようなことを言ってしまったため、呼び出された知人たちも困惑していたような気がします。
心療内科のお医者さんにも激しく訴えたことで、辞めた方が良い、との言葉を無理矢理引き出させてしまった気がしています。
完全に気が動転してしまっていました。
そして、退職の運びとなりました。
今は複数の派遣会社に登録してアルバイトをしています。
働ける時に働いたり、仕事がない時はクラウドソーシングサイトでライターなどとして内職しています。
正社員という立派な肩書きは手放してしまいましたが、これからはこのような働き方もメジャーになり、少しでも認められればと思います。
30代女ブラック企業を退職して楽になりました!
40代の主婦です。
30代のときに、ブラック企業で働いていて退職した経験があります。
そのときの体験談を紹介したいと思います。
もともと、ファッション販売の仕事をしていたのですが、ブランドショップに憧れて、好きなブランドショップに転職しました。
そこのブランドショップは、人手不足で、残業するのが当たり前な感じでした。
勤務時間が終わっても、商品出しが終わらなくて、毎日残業していました。
残業するのは、よいのですが、残業手当てが1ヶ月でたったの1時間分しかついていなくてびっくりしました。
毎日2時間は残業していたので、ブラック企業だなーと思いました。
残業が多くて、ほとんど仕事しかできない状態になり、辛くなりました。
最初は、好きなブランドショップだから頑張ろうと思いましたが、そのうち心も体も疲れきってしまいました。
やっぱり、自由な時間が少ないのは嫌だなーと思い、仕事を辞めることにしました。
アパレル業界は、人員不足で大変なんだなーと実感しました。
人員不足を補うために、残業しなくてはいけないのが本当に辛かったです。
以前の会社は、同じアパレル販売でしたが、残業がほとんどなかったので、転職しないで、以前の会社にいればよかったなーと後悔しました。
売れているブランドショップは、やっぱり忙しさが半端ないし、残業も多いなーと実感しました。
人員不足だから仕方ないのかもしれませんが、残業手当がきちんとつかないのは納得できませんでした。
好きなブランドショップのお店でしたが、やっぱり毎日の残業は、疲れました。
続けていくことができませんでした。
私の気力がもちませんでした。
私のブラック企業を退職した体験談について紹介しました。
忙しい職場は、ブラック企業になりやすいと思いました。
みなさんもブラック企業には気をつけましょう。