28歳女退社後も鬱病ですが結婚しフリーで働ける程度にはなった
少し前に会社を退職し、今はフリーランスで活動している20代女性です。
辞めたブラック企業は法人向けの倉庫業で、私は事務所のスタッフとして働いていました。
職場の何がブラックかというと、必死に仕事をしているのに世間話に加わらないという理由でクビをちらつかされたり、応接室に呼び出されて恫喝をされたりしました。
職場環境は最悪で、若手社員は私しかおらず他の社員は皆中年~高齢者という古参メンバーで寄ってたかって私を叩く、誰もフォローをしないといういじめの図式が出来上がっていました。
女性の社員はもうひとりいましたがかなりヒステリックな人で、私のことを若いからという理由で爪弾きにしたり、愚痴に付き合わないことを上司に告げ口して別室指導のキッカケを作ったことは一生忘れません。
お局というだけで仕事中の無駄話やLINEが許容されたり、大きなミスをしても全く責められなかったり、一言ごめんなさいと言えば許されるような扱いが本当に気に入りませんでした。
ミスの回数も重大さも私の方が遥かにマシでしたが、こちらはというとそれ以上ミスするとクビが飛ぶぞとか給料引くぞなどの脅しをかけられていたので酷い差です。
通勤時間が2時間以上ということもあり働き続ける頃にはボロボロになっていました。
こうした原因が積み重なったことで、免疫力が低下して膣カンジダ症になったりインフルエンザに連続でかかったり、精神的に不調も来たしうつ病にもなりました。
ある日退社をする少し前の時間から耳の聞こえが著しく悪くなり、意識も朦朧としたことがありました。
そして帰りのぎゅう詰めの電車の中で意識を失い、運ばれた病院でまたしてもインフルエンザだと診断されました。
このまま働き続けたら間違いなく自殺する、と思った私はインフルエンザが治った後で辞表を提出しました。
どうして私ばかりこんな目に合わなきゃいけないのだろうと思うと理不尽さに怒りと憎しみが沸き起こってきましたが、感情的になったところでどうにかなる問題でもありません。
人が少ないからもう少しいてくれと頼まれましたが、いて欲しい人をぞんざいに扱ったのはどこの誰ですかと反論し意地でも辞職しました。
辞めた当時は鬱病になってまともに動けなかったので気を配る余裕がありませんでしたが、パワハラの証拠を集めて告発したりメディア上で暴露したり、特に突っかかってきて職場いじめの原因を作ったお局には個人的に制裁を加えておけばよかったと思いました。
鬱の治療は続けていますがフルタイムで社会復帰するのは現時点では難しいです。
仕方がないのでフリーランスを始めてそこそこ稼げるようにはなっていますし、結婚したので焦る必要がなくなったのが幸いです。
辞めてからの方が収入は減りましたが生きることに楽しみを少しは見いだせるようになったので、死ぬかどうか迷うくらいなら退社して別のことをした方が絶対にいいです。
30歳女 ホワイトな職場に転職できた
東京都在住の30代女性です。
新卒で入った会社(大手の学習塾)がブラックでした。
学習塾というのは昼~夜中の勤務時間を理由にブラックだと言われることがありますが、それ以前にそもそもビジネスモデルとして崩壊しています。
1つの教室に社員が1人のところもあるのに、土日はイベントなどが入ることから休みなしの教室がほとんどになっています。
つまり、社員は毎日出社するか、自分が休んでアルバイトに任せるかの二択を迫られるのです。
責任感の強い社員ほど、10日、20日、ひどいときには1カ月と連勤が続いていました。
私のいた部署は幸い働き方を見直そうという動きがあり週休1日は確保していましたが、それでも先述のような状況は避けられず、有給休暇をとったことなど勤務8年間で1度もありませんでした。
入社当初は仕事が楽しいと話していた同期は、その楽しさを理由に連日長時間働いていましたが、最後には働かなければいけないというように自分を縛り付けるようになり、心を病んで退職していきました。
“やりがい搾取”とはこんなにもひどいものかと絶望しました。
そんなふうに辞めていく社員を間近で見ていて、私は、「自分にはこの仕事しかない」と思ったときは危険なのではないかと思うようになりました。
そのときから転職エージェントに登録して、貴重な休日を使い少しずつ面接を受けました。
(学習塾で唯一よかったのは、平日に休めるところです)
とにかく、ここは長い間働ける環境ではないし、何かをしっかり学べる場所ではないという思いで、転職活動を続けました。
心を病んでやめていった人たちにまだ他の可能性があることを伝えられたらよかったという後悔もありましたが、そのときは自分がそこから抜け出したいという思いで一杯でした。
ご縁のある会社が見つかってホワイトな環境で働かせてもらっている今、当時の勤務環境は悪かったんだなと実感します。
今もそこで働いている人たちは本当にいい人ばかりで、いい人たちだからこそ責任感がつよく抜け出せないのだと思います。
でも、そういう人たちにはきっと、もっといい環境があるはずです。
手遅れになる前に、動いておくことをおすすめします。
24歳男退職してとても人生が楽しくなった
24歳で既婚子供一人の3人暮らしの男性です。
僕は、以前4年ほどとある建設業に勤務していました。
そこの会社に就職したばかりのころは、必死に働きやりがいも少しずつ感じ頑張っていました。
しかし、徐々に職場での私自身に対する扱いがひどくなり、仕事を終えてからの3時間程の説教時間などが日常茶飯事でした。
3年ほどたつと、給料が1か月遅れるのもざらで、ただ働きの残業、早出出勤も当たり前になりました。
他の人たちが、休みの日にも私だけ仕事を押し付けられ半年ほど1日も休みがない事もありました。
それでも続けていればよくなっていくと思っていましたが、4年目に限界が来ました。
その当時僕は、昼は現場でそれが終わると違う現場に行き、夜間作業が朝までという生活をしていました。
1日の平均睡眠時間は2時間ほどです。
そこに、給料の支払いも遅れて待っている中やっと受け取ったと思ったら、日勤も夜勤も給料の値段が変わらなかったのです。
それどころか(最近怠けている)と言われ減給されていました。
休みもなく、寝る間もなく、働いているのに怠けているといわれたのが我慢できませんでした。
今のやっている仕事がひと段落したらやめさせてもらいます。
そう伝えました。
(わかった)と言われ1ヶ月辛抱しました。
その1ヶ月は、地獄のように私はいじめられましたが耐えました。
そして1ヶ月経とうとしてた時にびっくりすることを言われました。
(給料を今より30%昇給してやるから会社に残れ)そういわれました。
その時に、決心が固まりました。
やめる間際に言われたので今までは、いいように使われていたんだなと。
絶対やめようと。
そして約4年間務めた会社を辞めました。
やめるときは、腹立たしさとこの苦痛からやっと解放されると言う心境でした。
今思えば、4年も辛抱せずとももっと早くやめればよかったと思っています。
辞めてから1年ぐらいで風のうわさで、勤めていた会社が倒産したと聞きました。
やはり、そういう経営者は会社を潰してしまうのかもしれません。
38歳女性保険ショップを退職してスッキリしました!
ショッピングモール内に入店している保険ショップへパート勤務していました。
パート勤務ですがフルタイムで週5日勤務していたのでしっかりと働き、保育園へ通っている子供もいたので、お迎えに間に合うように残業なしという条件で働くことにしました。
実際に勤務してみると、来店されたお客様が長居されるケースも多く、そうした場合は残業になり、土日祝日もオープンしているので勤務することもあり、ご来店数も週末になると増えるので対応する機会がジワジワと増えてきました。
残業しても残業代もあまりプラスされませんし、有給もないので子供の病気や行事で仕事を休む時は有給が使用されず、休みといった形になるのでお給料は入らないので損したような感じがします。
有給もなく、時間に都合もつかない仕事ですし、保険の見直し相談の需要は多く、そして仕事はハードでお金が関係する仕事やご相談に来られた方は持病をお持ちの方もおり、そういったデリケートな部分も色々と話すことが多いので、仕事はピライベートなこともお聞きするような繊細な仕事になるなぁと実感することがあり、日常的にストレスを感じることがかなり多かったです。
保険の種類や保証内容など度々更新されることが多いため、そうした場合は常に状況を把握していくことが必要になり、ハードな仕事なぁ~と感じていたので、子育てとの両立は難しいと感じる部分も大きくなってきました。
子供の行事など参加する際に仕事の休みを取る時には有給もないので使えないですし、福利厚生もなく仕事内容はハードだし、不満が募ってきて、仕事を辞める方も多いのでブラック企業だなぁと感じる部分が大きくなってきました。
保険ショップへ勤務する時は、やはり詳細とは大きく違う部分が多く、ストレスがたまるし仕事を辞める人も多いので、働きにくい環境だなぁと感じて仕事を辞めることにしました。
保険の仕事はプライベートな内容・お金のことなど細かい部分が多く、色々と検討した上で仕事探しを行うべきです。